木枯し紋次郎


木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、十才の時に国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。天涯孤独な紋次郎がどういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは、定かでない。
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2012年11月4日日曜日

芭蕉




モトラッド名古屋Estで12ヶ月点検が終わったKを引き取り、社長と少し雑談をした。

今度のBMスクーターの剛性が凄いとの事。

自宅にもどったのはお昼前。

Macで軽くテイクアウトしてカミさんと二人で名古屋に向かった。














文化の日の今日、だからというわけではないが、

今週になって新聞広告で気になっていた
名古屋市博物館「芭蕉」展へ。

来館者はほとんどが俺より10歳以上先輩の方々。
若者や、俺以下の世代は少ない。

偶然、講義(山本佑子さん)もあったので聴いてみた。
これがまたおもしろかった。
印刷された活字だけではなく芭蕉の真筆で句をよむことの面白みを教えてくれた。
講義は二時間にわたり、国語嫌いの俺にもわかりやすかった。

・「文字は言葉を乗せる乗り物である」
芭蕉の真筆に句を詠んだシチュエーションや年代、紙質により、その書体が大きく異なる。

「不易流行」
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものを取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねて行く流行性こそが不易の本質である事。蕉風誹諧の理念のひとつ。
  相反する普遍性と変化を同時に求める理念。奥が深い。山本氏は空をたとえにして説明してくれた。

・芭蕉は「奥の細道」を発刊するつもりはなかったらしい。

・また、山崎宗艦という連歌師の辞世の句が、だじゃれもあっておもしろい
  「宗艦はいづこへと人のとうならばちと用(ヨウ:できもの)ありてあの世へといえ」

・この愛知にも芭蕉がのこした句があり、芭蕉句碑もあるとのこと。

・俳号(芭蕉)の由来。深川のの庵に植えられていた事がきっかけらしい。葉がひび割れて朽ちていく様がものの哀れを表している?諸説あるらしいが。。。
嵐山光三郎氏の解説も読んでみたいものだ。














あまりにも有名で、とりたてて書くまでもないが、
好きな句を二つ。

五月雨をあつめて早し最上川
 昨年五月の連休で山形から銀山温泉に向かう途中
 最上川の急流を思い出す。
 最初は涼しだったらしく、山形では涼し最上川と教えるらしい。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
 辞世の句。
 享年51歳。今の俺と同じ歳。かっちょえぇー


300年も前の旅人に敬意を表したい。
今じゃ1泊で帰って来れる距離だが、当時は命がけ。

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