月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲 お風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋(はをく)の古巣をはらひて、やや年もくれ、春立る霞の空に白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、モも引きの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月先(まづ)心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅(べっしょ)に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
先日GWの東北ツーリングで那須ユースで聞きかじった「奥の細道」。
バイクで走っても5日〜1週間を要する距離をテクでご苦労様です。
芭蕉隠密説
45歳の芭蕉による『おくのほそ道』の旅程は六百里(2400キロ)にのぼり、一日十数里もの山谷跋渉もある。これは当時のこの年齢としては大変な健脚でありスピードである。 これに18歳の時に服部半蔵の従兄弟にあたる保田采女(藤堂采女)の一族である藤堂新七郎の息子に仕えたということが合わさって「芭蕉忍者説」が生まれた。
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